まいでぃあ

私の大好きなバラや猫の徒然日記

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あっという間に桜の季節

ご無沙汰しておりました あっという間に桜の季節になっていましたね

先週末は近所の桜通りもお祭りですごい賑わいでした。
私は桜通りが夜のウォーキングコースなんですが、お祭りの終了とともに提灯も外されて
ちょっと寂しい気も・・・・

今日はもう花びらが散り始めていました。

24年桜通り
今日も中央の芝生の上でお花見している人たちやお散歩している人達が沢山いて いつもは静かな並木道がこの時期だけはとっても賑やかです。

24年桜通り2

ここ数日 夜もお月さまが綺麗で夜桜を写真に撮ってみましたが 私のデジカメでは綺麗に撮れなかったので
昼間の青空を背景に・・・・
このくすんだピンク色がいいですねぇ~~~


さて 我が家のお坊ちゃま 桃之介君もこの春で6歳になりました。
子猫のころは病気もよくしましたが 6年てあっという間ですね~~
最近は暖かくなって布団にも膝の上にも来ないので、少々寂しいですが・・・

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迎春


迎春2012

あけましておめでとうございます。

まんまる僕ちん
今年もよろしくなのにゃ

昨年は3.11や実家の母の手術など春以降精神的に苦しい年でした。
そんな時に桃君にどれだけ癒されたことでしょう。
今年も我が家の癒し担当部長として活躍してくれることでしょう~~~

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エコ(ネコ)生活

やっと猛暑から解放されたと思ったら、寒いくらいだ!!
熱帯夜がなくなってぐっすり眠れるのは嬉しいけど。。。。

今年は節電対策で我が家も色々と工夫して過ごしています。
環境にもお財布にもやさしいんだから もっと前からちゃんとやっておけばよかったな。
特に電気代は4月以降昨年度比で30~40%も節電出来ている!
先月くらいからエアコンを使うようになったので若干電気代が上がってしまったが
それでも昨年と比較すると上出来である

白ゴーヤ
今年のグリーンカーテンは白ゴーヤです。
収穫ものってハーブ、薬味以外は実は初めてで、ちょっと嬉しかったりする♪
この写真の時、せいぜい15センチくらいの大きさでしたが 翌日みるともう裏側がオレンジ色になってきていて 熟れ始めていたので慌てて収穫しました。

でも2人分のおかずにはちょうどいい大きさかも。
苦味も少なく、肉野菜炒めで美味しくいただきました


扇風機がない我が家で今年活躍したのが、ウチワ。
ウチワってお店でもらったりするもんだから 広告がびっしり。
銀行でもらったウチワはそうでもないけど、お店の宣伝で配られているようなものは
はっきり言って 使っていると興ざめしてしまう。
なので ボクちん君をプリントして貼り付けてみました。
にゃんこ団扇
相棒に ボクちん君はエアコン嫌いだし、暑いの平気だから「あづい・・」なんて言わないんじゃないの?
って突っ込まれてしまった。。。(^_^;)

文句つけてるわりには 喜んで使ってるくせに・・・・・



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経過良好♪

義母が入院して次の土日に仙台に行きました。
私は義姉と交代してしばらく滞在です。

東北道はガラガラでした。
宇都宮あたりを走っている時にラジオから地震速報がでました。
今走っているあたりが震源地で震度5だとか。
!!!???
まったく分かりませんでした。高速走行中ってこんなにわからないものなのかな・・・・

次のSAで休憩するつもりだったので入ってみると、レストランがざわざわしています。
今の地震でガスが使えなくなって、カレーしかできません、とのこと。
レストランはかなり揺れたようなんですが、私たちのように走行していた人たちは全然ピンと来ていないようでした。。。
携帯を見ると何件も着信が・・・
義姉や義兄から心配して何度も連絡してくれていたようです。
その後 高速は通行止めになってしまいました。
ただ、今 走行している車はそのまま走り続けていいとの事だったのでとにかくよかった。

ただでさえ空いている東北道が 通行止めによって合流してくる車がないものだからさらにガラガラに・・・


なんとか病院にたどりつくと義母は、1週間前とは見違えるほど元気になっていました。
病院側も手術の次の日から がんがん歩かせていたようですし、熱が下がれば体がずいぶん楽になったようです。
もちろん傷痕は痛いのですが、それは仕方ありません。。。
当人も入院生活は落ち着かなくて 早く退院したかったようです。
翌日が退院日、いったん帰る義姉と引き継ぎを済ませて家に帰りました。


日曜日の朝、病院に行く前に荒浜に行ってきました。
車でたった2分、2分走っただけで景色が一変しました。信号3個くらいでしょうか。
東北道からのびている 東部道路 これが命運をわけました。
東部道路は橋脚ではなく、5mの盛り土の上を走っています。これが最後の砦となったのです。

東部道路の内側と外側でこんなにも違うものなの??

目の前にはテレビでみてはいたあの光景。。。。
実際にこの目で見るのとは大違いです。見渡す限りがれきの山。
ぺしゃんこになった車、ひっくり返った家や根こそぎ流された防風林の大木
震災から1カ月以上たっているのに まだ探し物をしている人。。。。
胸がしめつけられました。。。
言葉がでません。。。。


気持ちが重いままでしたが、病院に行くとすっかり身支度を終えた義母が待っていました。
さて、私は今自分にできる目の前のことをしなくっちゃ。
仙台はちょうど桜が満開で 桜祭りも行われていて遠回りして公園を見ながら帰りました。
今年はなんとも微妙な気持ちで桜をみてばかり・・・(>_<)
帰ってお茶を入れて・・・・ホッと一息。
病院は地震でボイラーが壊れていたので、熱いお茶は飲めなかったそうです。

やはり家に帰れたのが嬉しかったんでしょうね、あれこれやりたがったのですが
そこはとりあえず我慢してくださいね、と。
とにかく私がいる、この2、3日はじっとしててもらわないと。。。。
諦めて 私がいる間はお台所はやらないようにしてもらいました。
2階もメチャメチャなままですが、GWに片付けに戻るので、絶対に上にあがらないように言い含めて。。。

昨日 義母と話した時に一番近くの御用達のスーパーがやっと営業を再開したとかで喜んでいました。
すっかり元気を取り戻し、仕切り炸裂 いつものお義母さんでした。

あ~ もう少し殊勝なお義母さんをみていたかったけど・・・・・・(笑)


あっという間で、怒涛の4月でした。

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一難去ってまた一難

さて 話をまた仙台に戻します。

震災の当日 3月11日は金曜でしたよね。
翌日義兄が春休みで帰省中だった大学生の甥っ子と仙台に向かってくれました。

こちらに入っている情報では仙台市若林区役所が浸水したと聞いていたので、区役所への通り道である実家の浸水は免れないと思って、義兄たちは完全装備し、避難所を一つ一つ回る覚悟で向かったそうです。
区役所の浸水というのは 裏手にある用水路が逆流し噴き出したものだと後からわかりました。

義母に会えたらそのまま秋田の自宅へ連れて帰るつもりでした。
ところが肝心の義母ときたら 人に頼るのが大嫌いな性格でたとえ長男のいうことでも頑として言うことを聞きません(^_^;)
運よく 上下水道は生きていました。
お米と灯油も買ったばかりだったし、常に冷蔵庫は満杯にしている人だったし 食糧庫もなんだかレトルトが沢山あって確かに一人だったら何ヶ月でも持ちそうな感じ・・・・

でも、いくらご近所仲良くたって、友達が沢山いたって、みんな自分のことで精いっぱいな時です。
余震もひどいし、電気もガスもない中どうやって暮すんだ!と説得してもやはり首を縦に振りません。
じゃあ 甥っ子を置いていくから、、、、携帯持っているし何かの時には連絡とりあえるから・・・・
と説得しても、2人だと燃料も食料も早くなくなるから、と・・・本当に頑固です。
結局 倒れた家具や力仕事を片付けると後は細かい片付けは女の仕事だからと 日曜に2人とも返されてしまいました(>_<)

本当に気丈な人です。 
でも私は内心 あの義母がおとなしく義兄の家に行くとなったら それこそヤバいと思っていたので
まずまずあの気力がある限り大丈夫だろうと思ったのです。

結局 電気と電話が復活したのは2週間以上たってからだったと思います。
電気がついたのを見た時はさすがに涙が出た。と言っていました。
ガスが復旧したのはそれからさらに1週間ほどしてからだったと思います。ガスの復旧は早いほうだったと思います。仙台市内でも1カ月以上たってもガスがつかないところがまだまだありましたから。。。

家の相棒は東北道が一般車両が通行可能になってからやっと現地に行くことができました。
それまでは自分の母校が避難所となっていて、テレビの中継を見たりすると本当にいたたまれなかったようです。現地に行く前の日に私はスーパーを梯子し、自宅と避難所への救援物資を車に積めるだけ買いました。

こちらでは割と早くスーパーに品物が戻ってきましたが、現地ではスーパー自体が物不足や壁や天井が落ちて休業中といったところが多く、なかなか生鮮食料品が入手できないとのことでした。
牛乳、卵はもちろん肉や野菜、チンするご飯、生米、果物 などを実家はもちろんお世話になったご近所さんや避難所に差し入れをすることができました。
震災後は避難所や一般の家庭にも燃料や食料を盗みに入るやからがいたそうで 一時期治安が悪くなっていました。

ライフラインが元に戻り生活も落ち着いてきたら4月7日の2回目の震度6です。
これは夜遅い時間でした。また震源地も内陸寄りだったので揺れが本震の時よりも大きかったそうです。
午前1時ごろ連絡が取れて義母の声を聞くことができました。
地震の翌日は私も実家から帰ってきたばかりで疲れていたし、洗濯と掃除だけして後はボクちんとだらだら過ごしていました。

夕方5時ごろ相棒から電話がかかってきて、一難去ってまた一難だ。と言われました。
どうしたの??ときくと、義母がこれから手術らしい・・・・とのこと。
!!?? どうやら胃に血が大量にたまっているのだそうで、緊急手術する、というのです。
仙台の親戚から相棒の携帯に電話があったというのです。

ぇえ~!!!!なんでなんで!?
詳しいことは開けてみないと分からないらしく・・・・
すぐに義姉に電話すると、今から向かう準備してるから。とのこと。
仙台につくころは手術も終わっているだろうからもっと詳しいこと分かると思うので待っててね、と言われました。
3日前に私の母の手術が終わってホッとしていたのに、なんでこんなことになっちゃうの??

夜になって連絡が入りました。
詳しい原因は分からないけれど、昨夜の地震の時にお腹を強くぶつけて出血したのでは?という見解でした。内臓に腫瘍らしきものは認められなかったそうです。1,100ccもの血と塊を取ったそうです。
皆 ガンではないかと心配していたので、ホッとしました。
1週間ほどの入院で抜糸が済めば退院できるということでした。
翌土日、相棒が仙台に向かいました。
私は実家のほうがまだ安定していないので こちらに待機ということで相棒だけ行ってもらいました。

とにかく こんなことって・・・・

まぁ どちらも命に別状がなくて本当によかったです。

最初の週を義姉が付き添ってくれて、私は退院する週からお手伝いに向かいました。
私にとっては震災後初めての仙台入りです。
ご近所さんからの震災の時の 生々しい話や目を覆いたくなるような荒浜地区の光景に打ちのめされました。。。。。




震災関連の記事は読んでいて 決して気持ちの明るくなるものではありませんが、文字にすることで自分の気持ちの整理もかねていますのでご了承くださいませ。

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